つ
で
も いつでも お寺はいずれも西武線の沿線。
電車で、お車で、自転車で、いつでも
気軽に巡り始める事ができます。
蔵
野 武蔵野 都心15分から、田園風景を抜けて
深い山の中へ。武蔵野の旅情を
フルコースで。
十
三
景 三 十 三 景 春は花、夏は水、秋は紅葉、冬は雪。
三十四のお寺に136の顔。
街の喧騒を抜けると
穏やかな空間が広がり
三十三観音巡りが
スタートします。
雑木林やお茶畑を
縫いながら進むと
牧歌的なお寺たちが
たたずんでいます。
高麗川と入間川の
豊かな川の流れが
四季おりおりの
水景を見せます。
麓から山の中へと
分け入って進めば
武蔵野三十三観音
結願も間近です。
武蔵野三十三観音霊場は、今から
80年前の昭和十五年(1940年)に
結成されました。
歴史学者・郷土史家として高名な
柴田常恵先生のご発願のもと
武蔵野を代表する三十四の観音寺を
選定しての結成でした。
霊場会結成の大きな願いは
『国運の隆昌』、そしてなにより
『亡くなられた戦没者の慰霊』。
時あたかも日中戦争がその激しさを
増していく最中。日本が大きく
揺れ動いていた、そんな時代の
切なる願いでした。
しかしやがて戦況は悪化。霊場会
関係者の出征、巡礼者の減少と
苦難の時代を迎えます。
そんな中でも、檀家様や巡礼者の方
そして観音様のご利益のおかげで
霊場会は護持され、その願いが
潰える事はありませんでした。
戦争が終わり、日本に平和が
おとずれ、霊場会の復興にも
期待が高まるようになりました。
しかし各寺院、まず戦禍からの
復興にいとまがなく、霊場会全体
としての復興には今しばらくの
時間が必要でした。
やがて日本は経済成長期に突入し
人々の暮らしも徐々に豊かになり
安定を取り戻し始めました。
各寺院の戦後復興も一段落し
折からの巡礼ブームの訪れもあり
『観音霊場会』としての復興の
機運が高まりました。
そして平成五年(1993年)、各寺院の
有志が集い、霊場会再結成の決議が
成される事となります。
ご来訪者の利便性向上のため
会則を整え、案内書を刊行し
三十四寺一体の『霊場会』
として精力的な活動が始まります。
7年後の平成十二年(2000年)には
開創六十周年を記念し、再結成後
初の総開帳が行われました。
西武鉄道様ご協賛のもと
ご来訪者様にも恵まれ、その後
開創記念は60・65・70・75年と
続いて行く事となります。
そして開創八十周年の本年。
元号が改まり、東京五輪が開催され
価値観や人生観も多様になる時代。
どの様な世になれど、霊場会の願い
そして三十四の観音様のご利益は
いつまでも変わることがなく
皆様と供にあり続けます。